2019年の目標
新年あけましておめでとうございます。今年も良い一年にしてゆきましょう。
2019年最初の更新なので、前も言った通り今年の目標を書いていきたいと思います。
今回はこれ書いてる奴がもう眠いので短く終わると思います。
早寝早起き
まずはこれです。2018年は教育実習に行って以来、良い生活リズムを仙台に戻ってもそのまま保てていました。2019年でもこれを継続していきたいです。
うちの研究室はコアタイムが無いので、院生さんとかは11時くらいに来るなんて方も居て、皆さん基本夜型って感じですけど、僕は朝の時間を有効に使っていきたいです。
実験終わってから勉強しようと思っても体力が無く、夜にはヘトヘトになっていて全くやる気が起きないなんてこともあって、研究室生活で勉強するなら朝しかないと気づきました。
冬は外も寒いので7時起き、暖かくなってからは6時起きを目標にしたいと思います。特に夏場は6時に起きて7時には冷房の効いた居室にいないと暑さで汗がやばいことになる。
朝早く来て、夜もできるだけ早く帰る。これが最初の目標。
……夜、早く帰れますかね、大学院生って。なんか皆さん遅くまで居ますけど。
勉強を継続する
うちは実験の研究室なので、当たり前ですが実験とか作業してる時間が長いというのは前にも言いました。これは、自分の研究テーマが与えられてそれを遂行する大学院生の立場になるとより顕著になると思われます。
ですが、僕らは物理屋さんなので物理の勉強をおろそかにはできません。研究室ミーティングでの議論や、シンポジウムの講演なんかのお話は理解できずついていけない時がよくあります。
やはり、その溝は自分で勉強して埋めるしかないです。時間は有限ですが、なんとか勉強する時間をひねり出したいと思います。現時点で一番使えそうなのはやはり朝。
ゼミはやり続けます。研究室のゼミは院生になると論文講読以外無くなりますが、自分で読みたい本見つけてゼミはやり続けます。
ゼミ形式じゃなくても、興味ある本は結構あるので自分で時間見つけて読みたい。
今のところ僕が勉強しなきゃ or 勉強したいと思って良さげな本を見繕っているものたち。
*) 多粒子系の量子論
*) 場の量子論
*) エレクトロニクスの基礎
*) コンピュータアーキテクチャ
*) 固体物性の基礎
*) 量子化学
*) ゴム弾性
上に挙げたものほど僕の研究に関わってくる可能性が高そうです。
この中で一緒にゼミ開いて勉強したいのがある人は、是非連絡ください。
お金の使い方を考える
2018年はよくお金を使う1年でした。使いすぎました。
学部1年の頃に比べて、食費が高すぎです。高い外食が多すぎ。どんだけストレス溜まってるんだって感じ。
もっと節制して、使うべき時にお金がちゃんと余っているようにしなければなりません。
大学院ではいよいよ海外に数週間~数ヶ月単位で出張する機会が出てくるはずなので、バイトはまずできません。
奨学金もありますが、今後何があるか分からないので残しておくに越した事は無いはずです。というか単純に高い外食を減らす、これだけでかなり出費を抑えられるはずです。
もちろん、使うべきモノには惜しみなく使います。参考書とか、飲み会とか。
誠実に正直に生きる
自分はとても綺麗な心を持っていると胸をはれるわけではないですが、せめて正直者でいたいと思っています。誰に対しても素直で正直に生きた方が、短期的には損をするかもしれませんが、長期的には結局は得をするものだと信じたいです。
あと、僕はもう4年生ですし、4月になればM1になるわけです。所属してるサークル内ではもう立派な高齢者です。上級生という立場は、本人が望むと望まざるとに関わらず自分の発言が下級生に波及してゆきます。
「老害」なんて言われないように、今サークルを率いて運営している下級生の邪魔をせず、皆が楽しめるように振る舞えなければいけないのだと思っています。
なので、正直に、誠実に生きてゆきたいです。おつりを多く貰ったことに気づいたら正直に申し出なければいけませんね。
あとは、奉仕の気持ちを持って行動したいです。困っている人に手を差し伸べる。自分のことで精一杯なことが多いのに奉仕なんて難しいと思いますけど……実践したいです。
こんなところでしょうかね、今年の目標。ぱっと思いつく限りは。
とりあえず、年度内は卒業研究を頑張ります。今のところ進捗がほぼゼロなので、修羅場必至ですがやり遂げてみせます。
きっと良い一年になりますよ、僕も、皆さんにとっても。
2018年の振り返り
2018年ももう終わりです。
僕の今年を月毎に振り返ろうと思います。ふぁぼもRTも貰ってないですが。
こんな駄文を書く暇があったら年明けのゼミの準備をしろと思われる方もいるかもしれませんね。僕もそう思います。
まあ、それとこれは別ということで。
あと、かなり前のことも多くて記憶が曖昧です。もし事実と違う部分があったらすみません。
1月
2018年の1月はまだ6セメ。はるか昔のことに思えるけど1年前。まだ普通に講義をとっていた。昔すぎて全然覚えとらん。
6セメは水曜が全休だったのでかなり暇していたと思う。ヒトカラによく行っていた。
1月なので実験は第3課題をとっていたと思う。N君が共同実験者で、すごく良い人柄でしかもめちゃくちゃ優秀で非常に話してて楽しかった。実験内容はあんまり面白くなかったけど。
試験勉強は1人でカラオケ屋にこもってやっていた。暇だったし科目数も物性と統計力学だけだったので比較的楽だった。
勉強できたにもかかわらず物性の試験はかなり想定外だった。結果的にAAを逃す。未だにちょっと納得ができない。
受講してた時はなかなか分かりやすい講義だと思ってたけど今思い返せば自分の物性に対する苦手意識は払拭しきれなかったしそうでもなかったのかもしれないと思う。自分の努力不足と言われればその通りなんだけれども。
教職の講義はひどすぎて出席がひたすらに苦痛だった。
配属先志望調査はかねてから決めていた研究室を筆頭に、素核の実験で上位を固めて提出。自分の成績的にこぼれるなんてことはないと思っていたけど、2月末に結果が出るまではやはり不安だった。
期末が終わって、第1次の所属講座の配属を見届けてから帰省することに。
2月
所属講座は予定通り素核実験に決定。物性か素核かの違いはかなり絶対的な区分だったので結構ほっとした。結果見てからすぐ帰省。
ぽつぽつと成績が出始める。物性がAだったのはちょっと納得いかなかったけど、期末で最後の最後でケアレスなミスをしてショックを受けていた統計がAAだったので許した。
ぐうたらしながら研究室配属の最終決定を待っていた。途中、量子力学の厚めの本を買って勉強しようかと思ったけど、三日坊主に終わる。
そして2月の最下旬に発表、無事第一志望に配属決定。実家のPCの前でガッツポーズした。
3月
何してたかほぼ記憶が無い。実家でぐうたらしていたのだろう。
成績がほぼ出そろっていたと思う。色々と腑に落ちない点はあったけど、B以下が無かったのでひとまず良しとした。
あまりに暇だったので、血迷った結果、4年にもなってバイトを始めることを決意。教職とってるからという安易な気持ちで塾講師のバイトに応募する。
4月
こうして長期休みに実家に入り浸ることはもう無いのだろうなと思って秋田を経つ。
研究室にはじめて行く。小学校の頃の新学期くらいの高揚感があったが、与えられた居室の備品が結構ボロくてちょっぴり萎えた。今ではかなり愛着あるけど。
研究室の同期や上級生ともそれなりに話せた。とりあえずある程度仲良くなるまではプリキュアとかの趣味は隠して過ごすことを決意。
研究室のゼミが始まる。テキストの英語がわからん! 最初の頃はノートに日本語訳を作ってたけど、やはり長続きせず。英語が分からなくて単語を何度もググる。
考えた結果、7セメは講義は先行履修以外は履修登録せず、ただ聴きにいくだけにした。卒業単位は揃ってるっぽいし、教育実習で途中抜けるし。
教職実践演習のガイダンスをすっぽかすという失態を犯す。完全に忘却していた。これを教訓に手帳を買ってスケジュール管理をとるようになる。
サークルは恒例の新歓。新入生の顔と名前が覚えられない。
塾の先生のバイトを始める。研修が淡々と続く。
5月
加速器実験への参加のために受講が必須の放射線取扱者講習会が教育実習と日程的に被っていることが発覚。教職をとってきた過去の自分を恨む。しかし教育実習をドタキャンするわけにはいかず、放射線講習会を諦めることに。
中旬から下旬にかけての2週間、教育実習のために久々の母校へ。大学生活ではルーズになりがちな礼儀面をかなり意識させられた。
実習内容は守秘義務があるので、言える範囲で。
僕を担当することになった教員は、なかなか良い人だった。教育実習生の苦労をよく分かってくださっていた。けど、欲を言えばもう少し、あと1、2回は授業をさせてもらう機会が欲しかったと思う。
やはり子供と接するのは非常に楽しいし自分は好きだと思った。けれど授業の準備と毎日の日誌の記入が時間かかりすぎる。指導案も書いたことなかったから見よう見まねでかなり苦労した。
高校の頃教わってた授業を実習生の立場で見ると、相当上手いなあと思う。こんなに上手いとは思わなかった。1回1回の授業で、その中でストーリーがちゃんとある。当たり前だけど経験が違うし、長年の洗練を経ているのだと。
あと、実際に授業を作ろうとすると、アクティブラーニングというものを現場の教員も周りの実習生もかなり取り入れていて、黒板で板書する気満々だった僕はかなり戸惑った。結局、出来ることをしようと思って板書でやった。
最後の研究授業は崩壊した。思い出したくない。
教育実習を受けて、僕は教員にはならないという結論に至った。子供に接するのは楽しいけど、少なくとも今の僕の体力では絶対無理。
6月
教育実習から仙台に戻ったら、僕がいない間に友達が院試ゼミを始めていた。奮然としながら僕も参加させてもらうことに。
戻ってきたら案の定講義は何言ってるか分からなくなる。先行履修のやつは研究室同期からノート見せてもらったけど、他はこれ以降出なくなった講義も多数。
研究室は相変わらずゼミだけ。
バイトは教育実習で抜けていた分の研修期間が続く。この頃はまだ平和だった。
16日昼過ぎ、曾祖母急死の一報。全てを放り出して帰省。まさか教育実習から2週間で再び秋田に戻るとは。
その日の夜に戻った時、既に揃っていた親戚は誰も泣いていなかった。あまりにも急すぎて現実感を失っている感じ。前日まで近所の温泉に1人で行くくらい元気だったらしい。僕もてっきりこの人は100歳まで生きるものだと思っていた。
亡くなった曾祖母の顔を見せてもらった。本当に蝋人形のようだった。きれいな顔で、眠っているようにしか見えなくて、今にも起きてきそうなんだけど、と親戚皆で話していたのを覚えている。祖母と大叔父夫婦がお葬式の日取り決めなど諸々に追われていて、僕は線香をあげて拝むことしか出来なかった。
翌日、火葬と通夜。僕は納棺の時が一番涙が堪えられなかった。火葬でも葬儀でもなく。棺を、図らずも形見になってしまった品々と無数の花で満たしていった。棺を封印して、もう開けられない、会えないということがとても悲しかった。
その少し前、棺の封印をする細長い布? みたいなやつに、皆でお別れの言葉を書いた時、それまで普段通りに振る舞ってきて諸々の事務作業に追われてながらも子供の面倒も見てた祖母が書いた「もう少し一緒に楽しみたかったです」という言葉を見た瞬間、ああ、やっぱりこの人も……と思って、目から涙があふれそうになった。
斎場(火葬場)で、棺が炉の入り口へ運ばれて行った後、祖母が呟いた「この瞬間が一番嫌だね……」という言葉が記憶に残っている。
待っている間、いとこの勉強を見ていた。それがどれだけ僕の心にひとときの安らぎを与えたことか。
さらに翌日、葬儀。お経をあげて、お焼香して、拝んだ。亡くなった曾祖母が、自分のお葬式用として前もってかなりの額を渡していたらしく、とても立派な祭壇だった。
僕は短いけれど弔辞を読んだ。泣きそうになるかと思ったけど、自分の番が回ってきた時は意外とそうでもなく、用意した言葉をすっと述べることが出来た。
最後に、お経を読んでもらったお坊さんが言っていた「故人を失い、どうして良いか分からず途方に暮れるという人がいると聞きます。やるべきことは決まっています、故人のために供養をしてあげること、それでよいのです」という言葉が記憶に残っている。
7月
バイトはようやく生徒に教えられるようになった。中学理科の担当で頻度は週1。授業の準備は自転車操業で、平日に大学に通ってる時も、思考のキャパの何割かをバイトの授業作りに費やさなきゃいけないのが結構しんどかった。あと、やっぱり授業終わったらヘトヘトになって、週1から増やすのは僕の場合学業に確実に影響出るなと思った。
研究室では、4年生がオープンキャンパスに向けた準備が急ピッチで進んだ。装置の相当の数のねじを、夏の廊下で外したり締めたりする作業はなかなか大変だった。
先行履修の期末は勉強してたので結構解けたと思う。時間が厳しかったので雑に答案書いちゃった問題もあったけど。レポートもがんばって結構解いた。
7月最終日からオープンキャンパス。絶望的な暑さに高校生が気の毒だった。
8月
期末が終わって、オープンキャンパスも終わって、いよいよ院試勉強本番。
バイトは休みをもらうことを了承してくれた(はず。というか、入れる日を自己申告せよということだったので全て×で出した。これ僕悪くないですよね?)
院試勉強は辛かったけど、楽しかった。詳しくは前書いた記事で。
下旬にはもう院試本番。上島四兄弟のオレンジのTシャツで臨んだ。後ろの席の人、変なTシャツ着ててごめんなさい。手ごたえとしては、数学で小事故。そして統計で中事故。統計例年通りなら典型的な感じだしノリでいけると思ったんだけどなあ。他は結構最後の方まで解けたけど、例によって答案を雑に書いてしまった感がある。
そして翌日には合格者発表。採点早すぎる。無事合格して皆で喜んだ。
あと、金農の活躍を勉強の合間に学食のテレビで見ていた。
9月
研究室同期が10月にハワイで開かれる(た)日米合同の物理学会で発表することになり、その研究を1ヶ月ちょいで行うことに。最初は装置組み立てたり回路組んだりで割と順調そうだったけど、データを取り出してから迷走しはじめる。
1ヶ月強ぶりにバイトに復帰。しばらくすると教室長から呼び出され、院試離脱前の授業について「どういう順番で進めてるの? おかしくない?」と問いただされる。僕が離脱前に進めてた授業が、曰く順番めちゃめちゃで僕がいない間授業が回らなかったという事だそう。僕は新入りだったのでテキストに完全準拠してやっていたので、そんなことはないはずなのだが、叱られた。当時は1ヶ月抜けて記憶があやふやになったこともあり釈然としなかった。後になって僕が気づいた事だが、この件は使ってたテキストに欠陥があった。
まあそんなことがあって、僕は教室長に目を付けられた。
10月
バイトを実質クビになる。
9月の件からその後しばらくして再び教室長から呼び出されて、詳しい経緯は長くなるのだが、まあ要するに僕の指導の価値観と教室長の方針が決定的に合わなかったということだった。この辺の話はかなり長いし僕も結構知り合いにしている話なので割愛。それで、僕にこのまま任せて良いか心配になって不安なので、このまま任せられるか少しの間考えさせて、というお言葉を頂いた。僕はそれに従うしか無い。
そして、もし任せられないと判断すれば、クラス指導から個別指導の担当に変わることになるとも言われ、以前の件からこのバイトへのモチベーションが結構皆無だったので、個別になるなら辞めると言った。
教室長の「考えさせて」の期限を2度延長され、教室長が至った答えは「現状2クラス担当していたのを、1クラスだけに減らすことは可能ですか?」というものだった。ん? と思ったので「意図を訊かせてください」と言えば「生徒に聞き取りしてみたら、一方(上位クラス)は僕の授業のレベルが物足りなくて、もう一方(下位クラス)はちょうど良いということだったので」との返答。意味が分からない。僕の教育観の問題では無かったのか?
ということで、僕は「それだったら辞めます」と答えた。
辞めて正解だったと思う。
あ、研究は何とかポスター完成までこぎつけて、研究室同期は無事学会で発表した。完成までは色々あったけど。「ROOT分かんねえ」が研究室同期の共通の口癖になった。そしてハワイ羨ましい。
あと教職は最後の科目である教職実践演習が始まった。10月の土曜は1、2限がすべてこれの講義が入った。まずその点で僕はこの科目に敵意を抱く。
12月のフィールドワークに向けた授業作りは、僕が出したラプラスの悪魔を題材にする案が通り、そのスライド原案も最初は自分がすべて作った。大変だったけど、スライド作りは好きなので別に良い。別に分担することでもないし。
そして、理科の演習で学部1年向けの実験科目の指導をTAに混じってすることになった。無給で。まあ当然なんだけど、なんか敗北感がある。一応、予習は結構して臨んだけど1年生もその場でテキスト読んで理解してしまうのであまり教えることが無かった。
11月
今までサークルのことをほぼ全く書いていなかったけど、2018年も今まで通り練習会に顔を出していた。そして11月、恒例の学祭で演奏をした。今回は趣向を変えてモーツァルトにチャレンジしてみたけど、完全に選曲に失敗した。やっぱりモーツァルトを聴かせるレベルで弾くのは難しかった。
今年の学祭は母校の理数科同期が見に来てくれた。夜に男3人で日本酒を飲む会をやって非常に幸せな気分になった。
初旬、卒業研究のテーマが決まる。元々はシミュレーションをやってみたかったけれど、助教2名の策謀により装置開発に携わることに。まあそっちの方が4年にとってハードル低いというのはその通りなんだろうし。
最初は僕の直属の助教さんと一緒に修論読み会なんかもして勉強もしたけど、助教さんが多忙を極めてかまってもらうことができず、そもそも発注した物品が届かないと製作に入れないということで中旬くらいから停滞。解析の練習をしてみようということで、助教さんは僕ともう1人の同期に今走ってる実験データで基本的な解析ソフトの使い方を勉強してみて、という課題を与えてきたけれど、そのへんはハワイ学会の実験でも結構やってたのでさくっと終わってしまう。
八木ゼミを始めたのも11月。元々Twitterで冗談半分で「ゼミやりません?」と呟いてみたところ、今まで絡んだ事なかった後輩が食いついてきて、始めないわけにはいかなくなった。そして、知らない間に原子核の知り合いが何人か集まるように。感謝感謝。
後輩くんも「原子核のことよくわからないので、広く浅く知りたいです」って感じで始めたはずが、八木はやはりガチだった。そして後輩くんもかなり強い物理学徒だった。あの場での僕は明らかに物理弱者になっている。主催者なのに。
12月
色々な面で忙しく、そして非常に幸運に恵まれた1ヶ月だった。同時に自分のこれからの課題を多く見つけることになった。
12月はうちの研究グループが加速器のビームの割当があり、研究室総出でとりかかることになった。僕は4年で、しかも放射線講習会を受けていないので実験ホールに入れず、暇を持て余すことが多かった。それでも、できる範囲での手伝いはやった。
研究室全員出動していたので、当然僕の卒研は進まず。ビームタイムが終わった後も研究室のイベントがあり、全く何も出来なかった。非常にまずい。
教職は、無事フィールドワークが終わる。レポートも気合いで書いて提出。これで4年かかった教職課程が完全に終了した。ちょっと感動しなくもない。
飲み会が多い! 週1、2のペースで飲み会をしていた。財布から金がどんどん飛んでいった。研究室、サークル、学部の友達と、あとクリスマスイヴの夜に突発的に理数科同期と日本酒を飲む会が開かれた。
そう、今年のイヴは1人ぼっちじゃなかったのである! 青葉山で25日提出期限の教職レポートをキレながら完成させて、家に帰ってふて寝しようと思ったらTwitterで理数科同期の法律オタクからクリスマスケーキのお誘いが。謎のテンションで一番町で合流して、そのまま男二人で光る木をみたあとでファミレスに入って適当に食事を済ませ、某所で藤崎のうまいケーキを食べてから居酒屋で日本酒を飲んだ。何だ今年のクリスマスイヴは、結構充実してるじゃないか。
他にも泥酔お月見事件とか、真冬の極寒八木山橋肝試しとか、色々とバカをやった。恥ずかしいのでココには書かないけど。というか7000字近く書いて、さすがに文章考えるのも疲れてきた。要するに、非常に楽しかったし、幸せな時間だった。
そんな中で、自分が直面しつつある問題なんかも見えてきた年末ではあったけど、それはまあ次の記事ということで。
次回は、2019年の目標を書きたいと思います。
曲紹介 その1 ショパン、ドビュッシー
先日、地下鉄でばったり出くわした学部の友人が手に持っていたのがなんとショパン名曲集と銘打った4枚組のCDではありませんか。なんでも最近クラシックを少し聴くようになってTSUTAYAで借りてきたのだとか。
友人がクラシックの、しかも僕の専門領域のピアノを聴きたがっているとあって嬉しくて思わず地下鉄内でショパンのことを熱く語ってしまいました。実はその場に別の知り合い乗っていて目撃されてしまいちょっと恥ずかしかったのですけど。
また別の友人でも、たまにクラシックの主にピアノ曲を聴くという人がいます。ドビュッシーの月の光がお気に入りなのだとか。良いですよね、月の光。
そんなわけで、今回は楽曲紹介記事です。色々な作曲家がいますけど、せっかくなので今回はショパンとドビュッシーに絞りたいと思います。色んな人を紹介するとお互い疲れますので。
一応これ書いてる奴が意図しているのは、クラシックに興味があって、ちょっと本格的な曲も聴いてみたい、程度には思っている感じの人に聴いてほしい曲を集めたつもりです。
英雄ポロネーズだとか亜麻色の髪の乙女だとか誰でも聞いたことがありそうな超有名曲は除外してます。「こういう曲もあるからので聴いて!」というつもりで書いてます。
ですが、まあある程通じてる人ならどれも有名曲ではあるんですけどね。
1. ショパン
Yundi Li - Chopin Scherzo No.2 Op.31
ある程度長くて、かつ耳に馴染みやすいショパンの曲といえばまずこれが思い浮かびます。3部形式で、旋律も美しく聴きやすいと思われますのでオススメの筆頭に挙げます。
実は僕はかつてショパンはどちらかというと嫌いな部類の作曲家だったのですが、上にあげたまさにこの演奏を聴いて変わりました。
演奏が軽快で、音色も若々しいノビがあってテクニックも素晴らしく(ちょっと暴走気味?)個人的にすごく好きです。これを超える演奏には出会えてないくらい好きなスケルツォ2番の演奏です。
*) バラード 第1番 ト短調 Op.23
Krystian Zimerman - Chopin - Ballade No. 1 in G minor, Op. 23
この記事を書くきっかけをくれた学部の友人は、このバラード1番を聴いてショパンを聴きだしたそうです。
フィギュアスケート選手が選曲をして冒頭部分とか聞いたことある人も多いかと思いますが、実はあれはフィギュアスケートのルール上演技の制限時間が定められているので、それにあわせてカットされたバージョンです。実はフルで聴くと10分くらいする曲なんですよ。
バラードはスケルツォと並んでショパンの楽曲中では大規模な部類に入ります。こちらは、スケルツォに比べると1曲の中で曲想の変化に富んでいて物語性があるのが特徴です。
Rafal Blechacz plays Chopin - Barcarolle Op. 60
ショパンの晩年の作品です。ゆらゆらと優雅な舟歌、曲想はノクターンに近いですね。
俗に、失恋を2回しないと満足に弾けないと言われています。
*) 練習曲集 Op.10 & 25
有名な「別れの曲」「革命」とかが含まれる練習曲集。
これは曲集なので、数分の短い曲が作品10と25にそれぞれ12曲ずつ計24曲あります。
ショパンを語る上で練習曲は外せないですね。ピアノ趣味の人なら何曲弾いた事あるかがステータスになります。
技術的にはかなりハイレベルで、聴きごたえもある曲ばかりです。
全曲紹介しようと思うとそれだけで記事が数本書けてしまうので、絞って紹介。
Pollini plays Chopin Etude Op.10 No.4
魂の作品10の4。のだめでも出てきたので有名。
全曲中最もアツい1曲。
Chopin Etude Op 25 No.1 Valentina Lisitsa
通称「エオリアンハープ」
ただの両手の分散和音の練習曲のはずがここまで優雅な曲が書けるなんて、やはりショパンはただ者ではない(あたり前です)
(Ebi)Chopin Etude, Op. 25, No. 6
これはショパンの練習曲中の最難曲と言われる事もあるくらいの鬼畜難度を誇る曲。
海老彰子さんのこれが今まで聴いた中で一番すごい。
2. ドビュッシー
*) 夢
ドビュッシーの作品は一般的にいわゆる印象派音楽を確率した中期以降が脂がのっていると言われますが、旋律的な美しさがあって聴きやすいのはこういう初期の作品でしょう。
僕は好きですよ、初期のドビュッシー。
*) バラード
これも初期の作品のひとつ。綺麗ですね。
……正直ドビュッシーは詳しくないのであんまり語れないです。すみません。
バッハならいくらでも語れるんですけどね。
*) 前奏曲集 第1集 から 「沈める寺」
Debussy - La cathédrale engloutie
2つの前奏曲集はドビュッシー中期の作品で、非常に短い作品がやはり12曲ずつ、計24曲からなります。
これはケルト人の神話を題材にしている曲で、海に沈んでいた大聖堂が海上に姿を現して再び沈んでゆく様子を音で表現してるらしいですね。
荘厳な曲ですね。
*) 小組曲
Debussy: Petite Suite (Piano Duet)
これは1台のピアノを2人で弾く、連弾という演奏形態の為の曲です。
組曲というのは、いくつの独立した曲が集まって1曲を構成している形式の曲です。
なので、この動画のように通して聴くと4曲聴くことになります。
それぞれの曲のタイトルは以下の通りです。
**) 小舟にて
**) 行列
**) メヌエット
**) バレエ
関係ないですけど、結局ピアノサークルに4年生になるまでいて一度も連弾せずに学部が終わりそうです。誰か誘ってくれないかなあと待っていたんですけど……
院試勉強
院試について書きたいと思います.淫試ではありません.
院試は学部入試に比べると簡単とか余裕とかよく聞きますけど,僕は必ずしもそうではないと思います.どちらも人生がかかっていますし,僕は院試勉強も結構頑張ったつもりです.
勉強期間で言うと,確かに学部の大学入試の方が入試の一年前から「受験生」なんて呼ばれて受験勉強をはじめるわけですから,それに比べると1か月ちょっとの勉強で本番を迎えた院試勉強は期間がはるかに短いでしょう.
しかし,1日の勉強時間では僕の場合院試勉強の方がはるかに長いです.僕は大学受験の時は1日に3か4時間,長くても6時間くらいでしたけど,院試勉強を本格的にしていた1か月間は1日11-12時間くらい勉強していました.
受かってみた今,はたしてそれだけやる必要があるかと問われると,それはもうその人が受ける研究室,やりたい研究分野によるとしか言えません.
たとえば,物理の花形である素粒子宇宙理論系の研究室を目指すのであれば,筆記試験は9割くらいとらないといけないと聞きます.研究室の定員に達してなくても水準未満なら平気で落とします.物理の理解が不十分な人間が入っても成果が期待できないということだと思います.
一般的に,物理の研究室は理論と実験に二分されますが,そのうち理論の研究室は基本的に筆記試験は高得点が必要と言われます.理論系志望の人は基本的に内部性だけでなく外部生との競争になります.先に挙げた素粒子宇宙系の理論は特に熾烈で,僕の知り合いでもほとんどの人が,いくつかの大学院を併願していました.ぼくのような実験志望で内部受験onlyな人間とはちょっと住む世界が違う感じがします.
また,実験の研究室でも大きな成果をいくつもあげているような有名研究室だと,外部からも受験者がいて競争になります.実は,僕が今いる研究室もそうで,どこからともなく外部受験生が複数いるらしいという噂が聞こえてきて,内部生の同期も優秀な人ばかりだったので,これは本気でやらないとマズいと思って頑張りました.結果的には,僕含めた内部生がそのまま全員合格したので,外部の人が本当に受けたかどうかもわかりません.
大学院入試の構成は,大抵のところが筆記と面接の2部構成だと思います.
筆記の科目は,それぞれの学部学科の専門で習った数科目 + 英語 です.うちの大学の場合ですと,数学,力学,電磁気,量子力学,熱力学,統計力学,それと英語です.というか物理学科はどこもこんな感じです.最近は英語の試験が,TOEICかTOEFLなど外部試験のスコアシートの提出させて点数にするところが増えてきています.うちの大学は普通に独自問題でした.
面接は,受験生がそれぞれ大まかな志望毎の面接グループに分かれて行われます.たとえば物性理論,とか素核実験,とかですね.面接グループ毎に訊かれる内容は異なります.理論の面接では,受験生が黒板の前に立って,その場で出された物理の問題を解くことを要求されます.「こいつ本当に物理分かってんのか?」という見極めをされて,ダメなら落とされます.実際に面接で落とされちゃった知り合いもいました.その人は本命の他大学に無事合格されたので結果オーライでしたけど.
一方で,実験系の面接は理論のそれと比べるとかなり平和です.問題も出されませんし,志望動機とか,その場で普通に受け答えできる質問だけです.僕が面接で訊かれた質問は,
*) 配属志望の研究グループの確認
*) そこを志望する動機
*) 筆記試験の手ごたえ
*) (願書の博士課程への進学意思欄に有と書いていたので)博士をとった後はどうするか
*) 志望先のグループは海外の研究施設で実験する研究室だが,どう思うか
これだけです.時間にして5分もかからずにあっけなく終わりました.実験系が志望の場合は,面接はこんな感じで簡単に質問されるだけなので,合否はほぼ筆記の点数で決まるのではないかと勝手に思っています.
それで,ぼくが具体的にいつごろからどんな風に勉強してたかという話に入りたいと思います.
院試あるなー勉強しないとなー,と4年に上がった4月の時点では思っていましたけど,院試勉強という具体的な行動を取り始めたのは6月の頭からでした.
僕は教職課程をとっていた関係で,5月の半ばから終わりにかけて地元の†母校†で教育実習をしていました.それが終わって6月の頭に仙台に戻って来てみると,なんと僕のいない間に友人たちが院試過去問ゼミなるものを始めているではありませんか! それで「なんだそれ! 俺もまぜろ!」といった具合で加入することになりました.
院試ゼミは,毎週末に大学の談話室に集まって解いてきた過去問の解答を発表しあう形式でした.毎週,1年度分のうちの半分を解くペースで,発表は1人が大問1こという割り当てでした.
セメスター中は普通に講義もとっていたし,研究室のゼミやらオープンキャンパスやらもあったので,院試ゼミ以外の勉強はしていませんでした.途中,僕の身内で不幸があったため急遽帰省することになるなど参加できなかった回もありましたが,院試ゼミに参加することで割と早い段階から一定のペースで問題に触れることができました.
本格的に勉強を始めたのは,前期のセメスターが終わった8月初めからでした.院試ゼミの頻度も週2回に増え,院試を考慮して研究室での作業も完全に無くなったため,完全に没頭することができるようになりました.朝6時に起きて,研究室の居室に7時には居て勉強を始め,途中で食事や休憩も挟みながら夜の9時くらいまで大学にいたこともありました.途中,集中が途切れてる時間もありますが,1日10時間は勉強してたと思います.週2回のゼミ用の過去問+自習用の何かを延々と繰り返していました.それだけ危機感があったのでしょう.
過去問は,本番1週間前までには東北大のWebに上げられてるもの全て+研究室の本棚から発掘した2, 3年分は解ききっていました.他に僕が自習用にやったものは,
*) 数学: 過去問のみ.良問多し
*) 電磁気: 大学の電磁気演習の配布問題を2周する
*) 量子力学: 日笠健一 著『量子力学』(朝倉書店) の5-82頁を暗記する
*) 熱力学: 三宅の熱力学を復習
*) 統計力学: 大学の統計演習の復習
*) 英語: 無駄な抵抗はやめる
こんな感じのことができれば,うちの大学の問題レベルならまあまあ解けると思います(英語以外は).実際には分からない時は他にもいろんな教科書を参考にしながら勉強してました.特に熱はかなり忘れてる部分があったので,一から勉強し直すはめになりかなり時間がかかりました.こうして並べるとどれもかなり初歩的だなあという印象ですが,僕の実力不足です.
もっと進んだ人,素理論とかに行きたい人は詳解電磁気演習とか久保の熱統計とかそういうもので勉強すると良いと思います.
そうして1か月自分なりに頑張ったところ受かりました.受かりたいところに受かって良かったと素直に思います.
自分が行きたい研究室に確実に行くためには,それなりの努力が必要だと思います.周りより点数足りないと違うところに飛ばされちゃいます.
ですが,うちの大学の場合だと全体の倍率はほぼ1.0倍に近く,どこでもいいのでとりあえず大学院にいければいいやという人にとっては,やはり院試は楽勝かもしれません.
研究室選び
この間,後輩から研究室選びについて訊かれました.その時はその場で思いついた適当な ことを喋ったと思いますが,家に帰って考えていると色々と浮かんできたので語りたいと思います.
いきなり「研究室はこう選べ!」みたいな書き方をすると,なんだか偉そうですし,それが果たしてその人に合った選び方なのかと言われるときっとそうではないので,まず僕が今いる研究室を選んだ経緯から話そうと思います.
その後で一応,研究室に入った今あらためて研究室選びについて思うことを書くので,よかったら話半分に読んでみてください.
1. 研究室選びに至るまで
高校の頃は理数科という動物園みたいなクラスにいました.
副担任が博士号持ちで,海外で理論物理のポスドク研究員を経験したあと高校教師になったという変わった経歴を持った人で,触発されたクラスメイトの何人かが理学部物理学科(あるいは天文学科)を志望していました.ぼくもそのうちの一人でした.
今思い返せば,僕の場合,研究者という職業とか生き方そのものに対する憧れが強かったのかなと思います.たまたま当時の副担任の専門が物理学だったから最初に物理に興味を持ちはじめ,それが今でも続いています.
そんな僕も受験をして,幸運なことに現役で今の大学に入れました.
入学直後の周りは,当時の僕と同じように「将来は研究者になって宇宙の謎を解明したい」って言う人ばかりでした.まあ理学部物理学科に態々来るような人はみんなそんなもんです.
ですが,多くの大学生と同じように大学生になった僕は堕落した生活を謳歌しはじめます.
大学に入ってとりあえずサークルには1こ入りましたが,学部の友達はできませんでした.ええ,できませんでしたとも.
講義を受けてて,必要があればその時近くに座ってた人に話しかけて済ませてしまうことが多かったです.
高校時代からだらけきった生き方ばかりしてきたので,とりあえず朝起きて講義出て,終わったら帰ってごはん食べてネットして寝る,という生産性のかけらもない生活してました.就寝時刻は3時とか4時とか平気でした.
まあ大学生なんてみんなそんなもんです.
サークルは,練習会には毎週のように参加してました.趣味が同じ人と話せるのは楽しかったし,上下関係もまったく厳しくないゆるいところだったので自分に合っていました.
あとは高校の理数科同期の人ら(特に某法律オタク)とよく話してました.
なので,大学に入って1年くらいは物理学科の知り合いはゼロでしたね.なんと悲しい.
基本的に講義は1人で受けてノートだけとりあえずとって,だらけきった人間なので特に予習も復習もせず,試験期間に徹夜数回キメて講義でやった計算を覚える,という明らかに間違った勉強スタイルがだんだんと確立しました.
おかげで,長期休み明けには講義内容なんてサッパリ忘れてますよ,ええ.
成績は,授業だけは出てたのでGPAで3.2/4.0という,落ちこぼれではないけど特に成績優秀とも言えない中途半端で微妙なカンジです.ハイ.
2. 研究室を選ぶ時期になって
宇宙の起源を計算で解き明かしてやろうという気概で入学した一人の少年は,学部3年にあがる頃には心身ともにだらけきっていて,かつてのやる気に満ちあふれんばかりの瞳の輝きは.まるで感光したPMTの光電面のように濁っていました.
かといって,社会に目を向けるようになっていたかというとそうではなく,むしろ研究という憧れだけはまだ心の中にあって,就活という未来から目を背けていました.
幸運な出来事がありました.ようやく学部の友達が多くできるようになったのです.
青葉山に上がったくらいから講義で席がよく近くなって結構話すようになった友達がいました.その人ともたまに会えば結構話します.
あと,学生実験で共同実験者になった人で,その人がいた輪に僕も加わって一気に友人が増えたのが大きいです.実験が終わった後に,ご飯をご一緒させてもらって輪に加わりました.
今でも定期的に宅飲みを開いている程度には交友があります.というか,談話室に行くと誰かしらいるのでそこでよく下らない話をしてます.この間はアマガミのヒロインで誰が一番可愛いかで喧嘩になりました.
当時の話に戻りますね?
当時僕は,とっていた統計力学の講義が分かりやすくて,しかも問題を解いて得意だと思っていたので(実際は計算ができるだけだったけど),物性の理論か実験に進もうと思っていました.
特別,「これがやりたい!」って思う研究分野も無くて,というかどういう研究室があるのかさえ全然知らなかったので,基礎ゼミで行った研究室に話の面白い教授いたなあとか,サークルの先輩が所属してる理論もいいかもなあとか,なんとなく思っていました.
研究室見学は6, 7か所くらいしました.友達と一緒に見に行ったところもありますし,自分一人でアポとって行ったところもあります.
友達も物性に結構興味があるみたいで,友達とは物性系を中心に見て回りました.しかし,その中に僕が選ぶことになる研究室はありませんでした.
僕が研究室を決める上で決定的な出来事が,3年後期の物理学科の新学期面談でした.
僕が通っている物理学科には,学部生は新学期になったら割り当てられた教員(もしくは希望する教員も可)と必ず面談をしなければならないという決まりがあります.成績不振者に対するフォローや進路相談などを目的に行われているそうです.
3年の後期セメスターの面談で僕に割り当てられたのは,原子核の某教員でした.しかし,僕が面談をしてもらいに居室を尋ねると,その日はたまたま出張でご不在で,出直そうかそれとも別の教員に行こうかと迷いながらウロウロしていたところ,隣の居室の扉がガチャっと開いて「僕に何か用ですか?」と顔だけ廊下に出して尋ねてきた人が,今の僕の指導教員です.
せっかくなので,その場で面談をお願いしたところ快く引き受けてくださって,研究室について尋ねてみると,自分の研究内容をものすごく楽しそうに話されました.それまで原子核なんて講義もとってないですし,考えたことも無かったのですけど一気に惹かれました.
その頃,自分がとっていた物性の講義が難しくなって理解に苦労して,物性特有のk空間で物事を考えることが自分には向いていないんじゃないかと思っていた時期でした.面談の時に自分の研究構想を夢のように語る今の指導教員の話を聴きながら,自分の中に,かつて自分がやりたかった宇宙に関わる研究をやってみようかなあという気が起きました.原子核を通してなので,昔の自分が思い描いていた研究とは少し違うけれど.でも,たまには初心に戻って素核をやってみるのも悪くないんじゃないかと,そう思ったわけです.
その後,友達といくつか研究室を見学して回りましたが,僕の心はほとんど決まっていました.僕の仲いい友達はほとんど物性の研究室に行ってしまいましたが,それでも迷いはありませんでした.幸いなことに,僕の成績で第一志望が通ることができ,今いる研究室に配属されました.
3. 配属されて思ったこと
実際に研究室に配属されてみて今思うことを挙げます.
*) 自分の好奇心に身を任せることが一番大事
*) 実験系は思ったより物理ができない
*) 明らかに黒い噂が立っているとこはやめとけ
*) 視野を広げること
*) 最低限講義には出とけ
*) 友達はもっと大事
以下,詳細です.
*) 自分の好奇心に身を任せることが一番大事
これに尽きると思います.院まで行くことを考えると最低3年間その研究室で研究をするわけですので,あまり打算的な思考はせず素直に自分の興味を優先した方が良いと思います.僕も,原子核に関する講義の一切をとらずに興味だけで今の研究室に飛び込みましたが,それでも何とかなってます.今のところ.教科書を読んでも理解できてない部分だらけですが,それでも研究の話をしたり聞いたりするのは楽しいですし,来て良かったと思ってます.
*) 実験系は思ったより物理ができない
実験系の研究室の宿命と思った方が良いかもしれません.どうしても,試料作製やら装置のセッティングやら結果の解析といった作業面に時間がとられて,肝心の専門の勉強をする時間が無くなってしまう傾向があると思います.そのくせ,研究室のセミナーでは物理の理解が求められます.これがなかなか大変.自分は,今までの堕落しきった生活リズムを見直すことで何とか頑張っています.早起きは大事ですね.
*) 明らかに黒い噂が立っているとこはやめとけ
ネガティブな話題で申し訳ないですけど,やはりこの話は外せません.
現在,大学でポストを得て教授だとかそういうポストを得ている人というのは,少なくとも過去において一流の研究者として立派な業績を上げてきた人なわけです.ですが,一流の研究者が,一流の人格者や一流の教育者とイコールというわけでは必ずしもないのです.クラシックの偉大な作曲家が人格破綻者ばかりであるのと同じです.
その点でも,僕の研究室は恵まれています.スタッフの皆さんは訊けば答えてくれますし,悪人でもありませんから.
僕たちは学費を払う立場にあるので,本来は必要かつ十分な研究指導を受ける権利があるはずです.ですが,残念なことに学生に対して教育者として非道としか思えない言動をとる教員が,数は少ないですがいるという話は,聞く話です.
ですので,主に指導教員についての悪い噂が立っている研究室は,研究室を選ぶ我々の立場からすれば避けた方が無難です.勿論,人間関係ですので相性の良し悪しは個人差があると思いますが,警戒くらいはした方が良いです.
僕が聞いた中でも酷いと思っているのは,あくまで伝え聞いたものなので信頼できるかは怪しいですが,
*) セミナー中の度重なる人格否定発言により,うつ病に罹る学生や退学者が多数
*) 学生に就活をさせない
*) 学生の指導に興味が無く完全に放置している
*) 研究室と全く関係無い私用を学生に押し付ける
といったところです.
誤解がないよう補足ですが,研究室の指導では,手取り足取りなんてことは無くある程度学生の自主性に任せて丸投げされるということはよくあります.なんでもかんでも教えてもらえると思っていると恥ずかしい目にあうと思います.また,研究室内では,誰かがやらなければいけない仕事みたいなものはあって,そういうのは学生が分担することになります.結局は事の性質と程度によりけり,常識的な範囲内かどうかという問題かと思われます.
*) 視野を広げること
これは,一番初めに述べた「自分の好奇心に身を任せることが一番大事」とセットです.せっかく物理学科に入ったのだから,素粒子や宇宙だけではなく物性にも目を向けましょう,という話です.磁性も超伝導も半導体デバイスも生物物理も立派な物理です.僕は結局初心に帰って素核の研究室を選びましたが,あの時物性を選んでいればと思い返すことが結構あります.そのくらいには物性に未練もあり,この間も物性の本をいつか読もうと思って奮発して買ってしまいました.誰か一緒にゼミやりませんか?
せっかく色んな研究室があるのだから,せめて今とっている講義の担当教官がやってる研究室のWebサイトくらいは見てみると良いと思いますよ.どうせ講義つまんないでしょ? 意味不明な講義してる人でも,ものすごい業績の持ち主かもしれません.
研究室訪問はすればするほど良いです.1, 2年のうちからしても全然良いです.少なくともうちのスタッフ陣なら喜んで対応しますよ.きっと面白い研究の話をしてくれます.
いろんな分野に触れてこそ,本当に自分が興味ある研究が見つかると思います.それに,研究の話を聞くこと自体が結構楽しいですよ.研究室選びは迷ってナンボです.
*) 最低限講義には出とけ
講義は大事です,なぜなら成績は大事だからです.うちの学科では研究室配属は完全に成績順で志望が通っていきます.たとえ出席をとらない講義でも,試験で良い点を取る最短の近道は講義に出てノートをとることです.その場で理解しながら聴けると一番良いですけど,ノートさえあれば後で見返していくらでも考えることができます.ノートさえとっていれば後は試験期間の自分が頑張ってどうにかしてくれます.講義でやってない問題が出題された時は諦めましょう.どうせ誰も解けやしないので.
普段から自学自習を欠かさないことができれば満点です.僕はそれが全くできませんでしたけど……
*) 友達はもっと大事
僕は幸いにも学部3年の時に良い友達に恵まれました.周りの友達はみんな僕よりも物理ができて,それでいて気が合います.物理の真面目な議論をしたり,教授のネタで笑いあったり,下らない話題でバカ騒ぎできることは幸せです.また,研究室選びや院試勉強の時はかなりの量の情報を得ることができたのも友人たちのおかげです.
そして,研究室の同期でも良い友人ができました.この人もまた出来る男で,彼が新しく主催した自主ゼミに参加させてもらってから,僕はゼミで仲間と勉強する楽しさを知りました.見よう見まねで,僕も新しく原子核の教科書を読むゼミを始めてみました.教科書が難しくて大変ですけど,結構野心的で面白いです.
こういう友人たちに,もっと早くに出会いたかったと思います.そうすれば,一番無駄に過ごした時間が多かった学部2年の前期までの期間で,何かもっと専門の知識が得られたのかもしれません.研究室に入って,勉強不足を痛感することが多々あります.特に,電磁気の知識が足りなさすぎます.
僕は1年の頃,一人で講義を受けながら,漠然と何かを変えたいと思っていました.おそらく,こういう友人の存在を望んでいたんだと思います.ですが,周りは知らない人ばかりで,勉強法も分からず,どうすれば良いのか分かりませんでした.
こういう思いを抱いている人はきっと他にもいると思います.なので,今僕は下級生や他学部の人も一緒に参加できるようなゼミか何かをやってみたいと思っています.まだ漠然とやりたいという思いだけですけど,ぼくも色々と物理に関係なく勉強したいことが最近増えてきたので,どうせ勉強するなら一人より大勢でやった方が楽しいし,ペースメーカーにもなります.何か案のある人や興味のある人は声をかけてください.勉強は楽しいですよ.
なんだか長々と研究室選びと全然関係ない話にまで広がってしまいましたが,こんな感じで,思いつく限りのことを書いたと思います.また何か思い出したら加筆するかもしれません.
次は何を書きましょうかね.院試勉強のことでも書きましょうか.